欲望には、キリがありません。
「あれが欲しい」「これも欲しい」と、次から次へと湧いてくる物欲。
一瞬手に入れたときは満たされた気になるけれど、それもすぐに色あせ、また次の“欲しい”が生まれる。
まるで終わりなきマラソンのように、心が疲弊していきます。
そして気づけば、僕たちはいつの間にか「見栄」に支配されている。
誰かに見られることを前提に、車を選び、服を選び、暮らしさえも整えてしまう。
本当はもっと身の丈に合ったものでいいはずなのに、「よく見られたい」という気持ちが、財布をどんどん軽くしていく。
これは、まさに僕自身の話でもあります。
かつて、自分も“謎のSUV”に乗っていたことがあります。
本当はコンパクトカーで十分だったのに、「周りの目」や「男としてカッコよく見られたい」という気持ちで、なぜか大きくて高い車を選んでしまった。
その結果、維持費もかかるし、駐車も大変。でも“見た目”はカッコいい。
まさに、見栄のために自分を縛っていた状態でした。
そんな僕の価値観が大きく揺れたのが、ハワイ旅行での体験です。
観光地ワイキキでは、高級車やピカピカのSUVがズラリ。
どれもツヤツヤに磨かれていて、「誰かに見せるための車」という印象でした。
まるでインスタ映えのためのディスプレイ。あれもきっと、“誰かの目”を意識した結果なのだと思います。
でも、少し郊外に出てみると、まったく違う世界が広がっていました。
そこには、古びたピックアップや、ガッツリ凹んだ車、サビの浮いたジープなどが普通に走っていた。
中でも衝撃だったのが、一台のダッジ・チャレンジャー。
日本ではピカピカにカスタムされて大切に扱われているようなこの車が、そこではリアバンパーがベコッと凹んだまま、堂々と道路を走っていたんです。
「うわ、こんな姿のチャレンジャー見たことない!」って正直驚きました。
しかも、その車に乗っていたのはスカイダイビングのインストラクター。
彼は「モノより体験」を重視していて、空を飛ぶこと、自然と触れ合うことに価値を感じている人でした。
車はあくまで移動手段。見た目なんてどうでもいいというスタンス。
その生き方が、ものすごくカッコよく見えたんです。
そこでふと思ったんです。
「自分は今まで、誰に見られるために生きてきたんだろう?」と。
もしこの世界に“観客”がいなかったら、
僕は本当に今のモノたちを欲しいと思っただろうか?
誰にも見られない世界でも、それを選んでいたのか?
その車、その服、そのライフスタイル。
本当に自分の心が望んでいたものなのか?
それとも、“誰かに見せたいから”という理由だけで追いかけていたのか?
僕は今、家計を見直しながら、簿記やFPの勉強をしています。
お金を「稼ぐ」「貯める」「使う」という力を、ちゃんと育て直しているところです。
そしてその中で一番大事だと感じたのが、「自分はどんな価値観で生きたいか」をハッキリさせること。
見栄や比較のためにお金を使うのではなく、
自分や家族の“心が喜ぶこと”にお金と時間を使っていく。
それが、これからの僕の目指す生き方です。
あなたはどうですか?
もし“観客のいない世界”でも、そのモノや選択を「欲しい」と言えるでしょうか?
見栄に縛られた欲望を、一度手放してみると、
本当に大切なものが見えてくるかもしれません。
そして――
それでもなお、本当に心から欲しいと思えるものがあるなら、
それはきっと、あなたにとって“本物”です。
僕にとって、それはやっぱりアメ車。
学生の頃からずっと憧れていた、無骨で大きくて、自由な雰囲気をまとったあの車。
今はまだ“手放した”けど、いつかまた乗りたいと思ってる。
経済的自由を手に入れて、
誰にも遠慮せず、誰かに見せるためじゃなく、自分の心がワクワクするから選ぶ。
そんな“本物の選択”ができるように、今は足場を固めているところです。
どう?気持ちがそのまま言葉になってる感じ出てたかな?
もしこの流れでプロフィール紹介とか、読者に向けてひと言つけたいなら一緒に考えるよ👍
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